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「奥様!しっかりしてください!!」

「リリ…」

 手を伸ばすエレナ。

 リリは泣きながらエレナの手を握る。

「あぁ…心配しなくていいのよ…。私の魂を代償にエリザベスに力が…」

「奥様!」

 目を閉じるエレナ。

「奥様………」

 リリは顔を伏せて、エレナの死に涙を流した。



   *****



「ちゃんと荷物は縛ったんだろうな!?」

「OKっすー」

「よし出発だ!」

 団長の声とともに馬車が走り出す。

「……」

 ラクリマは馬車の中で座り、顔を伏せていた。

「ラクリマ…大丈夫ですか?」

 テンクウが声をかける。

「あの男が、また追って来ないか心配だとか?」

「いいえ…。きちんとお別れを言ってきました」

「いつ?」

 驚いた顔をするテンクウ。

「夜中に、こっそり…」

 ラクリマは顔を上げる。

 悲しげな表情であった。

 テンクウは思い出す…自分と初めてあった時もこんな悲しげな表情をしていた。

「でも、悪いことをしてしまったような気がして…」

「気にすることはないですよ」

 微笑むテンクウ。

「そうかしら…」

「世界は広い。他に助かる方法もあるでしょう」

「…そうね」



    ◆◆◆◆◆



「おはようインフェルノ、よく眠れた?」

 相変わらずの笑顔で問いかける花梨。

「まぁな…」

 牢から出てくるインフェルノ。

 酷く疲れた顔をしている。あまり眠れなかったのだろう。

「お風呂に入りたい」

「はいはい、じゃあ宿に行きましょうか」

 花梨とインフェルノは監獄を出る。

 日の光が眩しい。

「ところでラクリマは?」

 手で日差しを遮りながら問いかけるインフェルノ。

 花梨は少し苦い笑みを浮かべて、

「もういっちゃったわ」

「なにぃ!!!!?」

「やっぱり諦めてなかったのね」

 ため息を吐く花梨。

「諦めるわけないだろ!どこにいったんだ!?」

「そこまでは…ガルバさんに聞けば知ってるかもしれないけど。

 でも歌ってくれそうにないわよ?」

「説得するしかないだろう!

 あの女、夜中にやってきたと思ったら「自分には無理です」と抜かしやがったが私は絶対に諦めないからな…!」

 まるで悪役のようなセリフを吐く。

「ガルバはどこだ!?」

「青水のところにいると思うけど…」

 駆け出すインフェルノ。

「…命がかかってるからとはいえ……ちょっとラクリマさんのことも考えてもいいのに。

 女の子の扱いがなってないわね」

 花梨は深い深いため息を吐いた。







「ガルバ!劇団はどこに行った!?」

「なになに?」

 インフェルノに首を掴まれガックンガックン揺すられキョトンとするガルバ。

「落ち着けよインフェルノ」

 青水がインフェルノの肩を掴んで引き寄せる。

「お前の焦る気持ちはわかるが、一応風呂に入って落ち着け。な?それから今後のことを話し合おう」

「クッ……ぬぅ……」

 インフェルノは唇を噛み締めながら青水の言葉に従った。

 そして、インフェルノも風呂に入ると落ち着いたらしい、食って掛かることはしなくなった。

 全員揃ったということで、借りた部屋の一室に集り好きなところに腰をかける。

「まず整理しましょう」

 椅子に座っている花梨は呟く。

「私たちは神託通りに天使を見つけ出したと思って良いわ。

 インフェルノがラクリマさんを天使だと感じ取ったのは神のお導きよ」

「しかしその天使が歌ってくれないとなるとなぁ」

「あいつは…」

 インフェルノはギッと鋭い目をして、

「歌えば、私をも殺してしまうと…だから歌えないと……」

「なるほど。現に歌うだけで人を自殺に導いちゃってるしね…。エリザベスのみを消滅させる歌とかないのかしら」

「耳栓すればいいんじゃねーのか?」

「無理だと思うよ」

 青水の案にガルバは首を振る。

「あの歌声は耳を塞いでもダメだ。わたしの剣のように音を破壊力にするモノじゃない。

 直接、心に触れてくる。歌は媒介みたいなモンだね。歌が聞こえる範囲が彼女のテリトリーになるのさ」

「あ…」

 昨日の夢を思い出すインフェルノ。

 そうだ、歌が聞こえたと思ったその時に穏やかな気持ちになった。

 愛しい者に包み込まれているような、そういう気持ちに。

(愛しい者…?)

「インフェルノ…?」

「あ…あぁ……どうして、私は…」

 手で顔を覆うインフェルノ。

「どうしてわたしは…マークを殺してしまったんだ……?わたしは………。

 マークのこと、嫌いじゃなかったのに……あぁぁ…マークは…そうだマークは……」

 花梨は立ち上がり、インフェルノの元へ歩み寄る。

 インフェルノは涙を流していた。

「マークはわたしのことを思って…なのにわたしは気づかなかった……

 なんてことを………」

「過ちに気づいただけでも偉い偉い」

 花梨はインフェルノを抱きしめる。

「それだけでも神は貴方を許してくれます」

「マークは…?マークも許してくれる…?」

「……」

 インフェルノは花梨をみる。

「今は、そんなことを悩まなくてもいい。貴方は貴方のしなくてはいけないことがあるから」

「しかし…」

「死者を気にしても意味がない。私たちは許してもらえるよう祈ることしかできないの。

 過去の過ちを嘆き続けていても許してくれない。許してくれるようその罪を背負って生きていくしか、できないの」

「………」

「インフェルノ、貴方は悪い人じゃない…悪いことが判断できないだけで。

 これから、今みたいに少しずつでいいから気づいていけばいい。残念だけど貴方にはそれぐらいしかできないから。

 でもきっと大丈夫よ、マークさんも許してくれるわ…」

 微笑む花梨。

 そしてインフェルノの涙をハンカチで拭い始める。

「花梨…わたしは、ラクリマにもう一度頼みたい。わたしは、このまま死ぬのは嫌だ……」

「劇団の次の公演は―――」

 ガルバは何やら懐から紙を取り出す。

「何だそれ、チラシかよ」

 覗き込む青水。

『中心都市グラディエフ…』

 同時に読み上げる青水とガルバ。

「グラディエフ!?」

 叫びながらインフェルノは立ち上がりガルバに駆け寄ってチラシを奪う。

「あら、インフェルノの生まれ故郷じゃない」

「なんか運命っていうのもココまで来ると喜劇だね。旅した意味ないじゃん」

 飛剛は目を細めていう。

 もともと乗り気ではなかったから余計にそう思うのであろう。

「そういうこといわない!旅が試練だったのよ」

 胸を張っていう花梨。

「…グラディエフ…わたしとエリザベスの故郷…」

 インフェルノは眉を顰める。

「悪寒がする。何だか嫌な気分だ花梨」

「そうね…これが最後の試練なのかも」

「なんでもかんでも試練にするなよ。それじゃあ俺の人生試練だらけじゃん」

 茶化す青水。

「もー。アンタとインフェルノは質が違うの」

「質って…」

「グラディエフに向かおう」

 インフェルノは呟く。

「お前達がいれば何があっても大丈夫だろう、信頼している」

 小さく微笑むインフェルノ。

「インフェルノも笑えるようになったんだねぇ」

「失礼な。わたしにだって感情はある」

 ムッとしながら飛剛に反論すると、飛剛はクスクス笑った。

「えーと、ガルバさんも一緒に行かない?どうせ劇団追っかけるんでしょ?」

「そりゃーもう追っかけますとも。よろしくね」

 ニッコリ笑うガルバ。

「そういやなんでお前、劇団追っかけてんだよ」

「ラクリマファン。あの歌を聴いたときから心を鷲掴まれたのよ」

「そうか……」

「変な人に追っかけられやすいのね、ラクリマさん」

『どういう意味だ』

 ガルバとインフェルノは同時に花梨に呟いたのであった。



   ◆◆◆◆



「ここがグラディエフ…また随分と大きくなったものね。

 私が前に来たときは汽車はこんなに無かったわ」

「前々から疑問に思ってたんだが」

「なぁに?」

 インフェルノを見上げる花梨。

「お前は年いくつなんだ?」

「女の子にそういうこと聞いちゃダメよ」

 ニッコリ微笑みながらインフェルノのほっぺをつっつく。

「あ、意外とインフェルノの肌ってモチ肌なのね~♪」

「よせ」

 つんつんしてくる花梨の手を払う。

「空気が悪いねこの街…」

 イヤそうな顔をする飛剛。

「精霊の気配もない」

「自然が汚されていて精霊がいない、街の人間達の信仰心もなく…ここはぽっかりと開いた無秩序空間ね。

 よくこんな所に住めるもんだわ。ねぇ?インフェルノ?」

「知るか。生まれたときから住んでるんだ、これが普通」

「魔の者たちが住み着きやすい場所なんだけど」

「ふん…さっさと劇場に行くぞ。」

 歩き出すインフェルノ。

「劇場に行くには路面を走る列車に乗っていく。遠いからな」

「じゃあワモッカを預けてくるわ」

「あぁ」

 花梨は馬を引いて去っていく。

「路面を走る列車は蒸気機関じゃないんだ?」

 ガルバは興味深そうに呟く。

「あぁ、魔力で走っている。町から町へ走る列車は蒸気だがな」

「へぇー」

「お待たせー!」

 花梨が戻ってくる。

「行きましょう」

「あぁ、こっちだ」

 再び歩き出す。

 人通りの多い場所に出ると、インフェルノはスタスタと迷うことなく路面列車の一つに向かう。

「さすが地元住人…」

「これだけ大きかったら街の外に出ようと思わないわね…」

「早く乗れ」

 インフェルノに急かされて花梨たちはインフェルノに続いて列車に乗り込む。

 中は座席もあったが、立っている人が多かった。

 ちょっと乗ってすぐ降りる人が多いからであろう。

 ふと、何やら視線に気づいた時にはヒソヒソと低い囁き声が聞こえてきていた。

 視線はインフェルノに向けられており、乗車している客たちはちらちらとインフェルノを見ていた。

「…また目立ってるわよ貴方」

「ふん……」

 インフェルノは乗客たちを睨む。

「わたしはインサニア=テネブラルムではない!」

 そう叫ぶとそっぽを向く。

 今の発言でより一層、囁き声が増えた気がする…。

「……インサニアって?」

「天才の医者だ。どうやら私はその医者そっくりらしい」

「しらじらしいのもココまで来ると気持ちがいいな」

「そうね」

 頭をかかえる花梨。

 白衣を着たまま、本人が本人ではないと叫んでいれば世話ない…。

 バカを通り越して清々しい。

「病院の患者があの中にいたんだろ。ふん、病気を治してやってる恩を忘れやがって」

「よく医者になれたものね」

「医者と聖職者は違う」

「……」

 小さくため息を吐いて、黙る花梨。

「…ねぇ、劇場って遠いのかい?」

 ガルバがインフェルノに問う。

「離れてはいるが、すぐに着く。ほら、あれだ」

 窓から指を指すインフェルノ。

 一際大きな建物がそうらしい。

「おっきぃねー」

「あぁ…」

 遠い目をするインフェルノ。

 あそこにラクリマがいる。

 煌びやかな衣装を身にまとって、舞台に立つのであろう。

 そして優しい歌を歌う。

 まるで天使のような―――

 列車は劇場近くに止まる。

「劇は夜からだから、今リハーサル中かな?」

 列車から降りながらガルバが呟いた。

「邪魔しちゃうわね…」

「少しぐらい、いいだろ」

 スタスタと劇場に向かうインフェルノ。

 まったくもって遠慮という言葉がない男である。

「やっぱり来たか貴様」

 劇場の前でテンクウが待ち構えていた。

「しつこい。」

「黙れ。お前はラクリマの何なんだ?彼女に会わせろ、わたしは天使に用がある」

「彼女は断った。何をいおうが気が変わる事なんてないからな」

 睨みあうテンクウとインフェルノ。

「お前達もこいつを説得してくれ」

「うっ…。一応私たちも話し合ったのよ。もう一度だけラクリマさんに…」

「ダメだ。…客として舞台の上のラクリマを見るんだ」

「そんな…」

「どけ、わたしは天使に会う!」

 テンクウを押しのけるインフェルノ。

「ダメだと言っているだろう!」

「!?」

 インフェルノの視界が暗転する。



  どん!



 気づいたとき、目の前に地面があった。

 そして後から来る激痛。

 インフェルノはテンクウに腕を捕まれそのままねじ倒されていた。

「痛ぁっ!?」

 肩がミシミシいっている。

「お引取りを」

 低く、そう呟きインフェルノを開放するテンクウ。

「くっ…!」

「インフェルノ、出直しましょう。」

 花梨はインフェルノを立ち上がらせながら言う。

「また牢に入れられちゃうわよ」

「くそ…」

 インフェルノはテンクウにガンを飛ばしながら背を向ける。

「一人にさせてくれ」

 そういってインフェルノは歩き始める。

「花梨、どうする?」

「うーん、放っておきましょう。こればっかりはどうしようも…。強引に入っても…ねぇ?」

「諦めて欲しいんですが…」

 テンクウは呟く。

「あいつが絡むとラクリマが昔の顔に戻ってしまう。正直わたしは彼女の悲しい顔を見たくは無い」

「それはごめんなさいとしかいいようがないわね…」

 しょんぼりする花梨。

「客として来るならいいですが、それ以外で来ないでください。いいですね?」

 劇場に戻っていく。

「あーあ、きっぱり言われちゃった」

「仕方が無いわ…インフェルノには大人しく客になってもらいましょう。

 …他の方法を探した方がいいのかもしれないわね」



    ◆◆◆◆



 頭がぼんやりとする。

 なんだろう、歩いているのか…歩いていないのか…

 立っているのか…立っていないのか…

(…ここはどこだ)

 朦朧とした意識の中、インフェルノは呟いた。

 仲間と離れてからしばらくして、急に意識が混濁してきたのだ。

 どこをどう歩いているのかわからない。

(エリザベス…?お前か……?)

「そうよ、先生」

 自分の口から声が漏れる。

 いや、違う。何かが…全身の感覚が違う。まるで他人のようだ。思うように動かない。

 しかし足は勝手に動くのだ。

(どこへ……)

「わたしの家に帰るに決まってるじゃない。」

 顔を隠す前髪を掻き上げながら、インフェルノの身体を乗っ取ったエリザベスは呟く。

「私は殺せない。私は完全な魔女となったのよ、お母様の魂のお陰で。

 今晩…この街は地獄に沈む。貴方に生きながら地獄を味合わせてあげるわ」

(なっ…に…?)

「残念ねぇ、せっかく天使が見つかったのに」

 ショーウィンドウに映るインフェルノの表情には笑みが浮かんでいた。

「あ、可愛いー。新しい服が出てるわ」

 飾られた子供服を眺めながら呟く。

「でも、着れないのよ…貴方が私を殺したから。」

 歩みを進める。

「お母様に愛されながら、楽しくお喋りしたり、お茶会したり、退屈な勉強をしたり…恋をしたり…

 もう、出来なくなったのよ。先生のせいで」

(………)

「ここが私のお屋敷」

 呟きながら屋敷の中へ入っていく。

「お待ちしておりましたエリィ様。」

 不意にメイドが出迎える。

「お帰りなさいませ」

「ただいま。」

(なぜこいつはお前だとわかるんだ、私の身体だぞ?)

 インフェルノはエリザベスに問う。

「あぁ…この子、お母様の使い魔よ。」

「…」

 一礼するメイド。どうやらインフェルノへ挨拶のようだ。

「お母様は魔女だった。神への信仰が希薄ないこの街は私たちのような存在は住みやすいところ」

 階段を上がっていく。

「魔女って金持ちなのよね。いろいろ、研究している副産物があるから。

 パパはこの屋敷丸ごと狙ってたの。お母様も私も遺伝の病気で弱っていたから狙われたんだわきっと。

 それでもお母様はパパが好きだったのね。だから私が先生の身体を借りてパパを殺したの。

 あの時はちょっとスッキリしたわ……ふふ…」

 とある部屋の前で足を止める。

 すかさずメイドが扉を開く。

「!?」

 中にいた黒髪の女性は驚いた表情をして椅子から立ち上がった。

「だ、誰…?ベレッツヘム病院のお医者様…?」

 白衣を見て呟く。

『私よリリ』

 インフェルノは椅子に座ると、スッ…とエリザベスが姿を現せる。

 インフェルノはぐったりと項垂れた。

 全てのエネルギーを吸われたのか、まったく身体に力が入らない。

「エリザベス様!じゃあ、その医者はまさか…」

『そうよ、リリ。私を殺した先生』

「………」

『そんな怖い顔しないでリリ。』

 微笑むエリザベス。

『ねぇリリ…私のお願い聞いてくれる?』

「喜んで聞かせていただきます。私に出来ることならばなんだって…!」

『良かった…リリ、大好きよ。だから…』

 エリザベスの幽体がリリに詰め寄り、リリの頬を撫でる。

『その身体を頂戴』

「えぇ!?」

『必ず返すわ、約束する…お願い…』

「…わ、わかりました。エリザベス様のお役に立てるのなら」

『リリ大好き!』

 エリザベスは無邪気にリリに飛びつく。

 そしてリリの身体にエリザベスは溶け込んでいった。

「…あとは儀式の準備だけね」

 リリはメガネを外しながら呟く。

 その毅然とした表情はエリザベスであった。

「先生、もうすぐ終わるのよ。貴方の旅は。そして始まるの…永遠の地獄」



    ◆◆◆◆



 劇場の楽屋。

「ヤダ!あっち行ってよ!!」

 衣装係がドレスを抱き上げながら足で何かを蹴り飛ばす。

「どうしたんです?」

 楽屋に戻ってきたテンクウが問いかける。

「ネズミよネズミ。でっかいの!」

「この劇場、古いからでしょうかね」

 苦笑するテンクウ。

「もー齧られてないかしら」

 入念にドレスをチェックし始める。

 テンクウはその横を通り過ぎてラクリマの横に座った。

「ここネズミが多いわテンクウ」

 ラクリマはメイクをしながら呟く。

「ネズミは苦手?」

「いいえ。飼っていた猫がね、よく持って来たから慣れちゃったわ」

「そ、そうですか。ちょっと意外…」

「でも変なの。ネズミの様子が」

「どこが?」

「…そわそわしてるっていうのかしら」

 ラクリマは青い瞳をテンクウに向ける。

「怖がってるような…普通じゃないの」

「へぇ…」

「ごめんなさい変な話して」

「いえ、興味深かったです。ラクリマ、またあいつが…」

「え!?」

「追い払いましたけどね」

「そう…」

 ラクリマは顔を俯かせる。

「…観客として来いと言っておきました。そんな悲しい顔をしないで」

「ありがとう、テンクウ。」

「ラクリマ、ドレスの用意ができたわ」

 さっきの衣装係が声をかける。

「じゃあまた舞台でね。テンクウ。」

 立ち上がるラクリマ。

「えぇ、待っています」

 テンクウも立ち上がり、楽屋を出た。

「口説かれてたの?」

 衣装係がラクリマに茶化すような口調で問う。

「そんなんじゃないわ」

 少し頬を赤らめながら、ラクリマは答えた。







「インフェルノみないわね」

 花梨は心配そうにあたりを見回す。

「公演の時間忘れてるんじゃないの?」

「まさかぁ~。でもどうしたのかしら」

「先に中にいたりしてな」

「あ、それもあるかもしれないわね…」

「いてもいなくてもとりあえずは先に中で待ってたら?」

 ガルバはチケットを花梨に差し出しながら言う。

「…俺達の分は?」

 青水はジト目でガルバに言う。

 ガルバはニッコリ微笑みながら

「どうして野郎に奢らなくちゃいけないんだよ」

「む、むかつく!!!」

「青水も似たようなもんじゃない。さっさと買って入ろうよ」

「なんだ飛剛、お前いつからラクリマのファンに?」

「失敬な。青水と違って女目当てじゃないよ。オペラに興味あるの」

「あぁ、お前も似たような職業だったなそういえば」

「能楽とオペラ一緒にしないでくれる……?」

 笑う青水に飛剛は眉を顰めつつ、歩き出す青水に続く。

 ガルバと花梨は先に劇場に入ったらしい。薄情である。

「飛剛、俺頭いてぇ…」

 チケットを買って戻ってきた飛剛に呟く青水。

「なに?またそこらの物壊さないでよ。危ないから」

「コントロールぐらいできるわ。…なんかイヤな感じがするな畜生。」

「青水の『イヤな感じ』は絶対当たるからイヤだよ。その超能力に予知能力でも入ってるんじゃないの」

「野生のカンと言え」

「ヤだよ…なんかかっこ悪いし」



    ◆◆◆◆



 それはシンプルな儀式であった。

 テーブルの上に魔法陣の書かれた布を敷いているだけ。

「お母様がある程度やってくれたの。あとは時間が来るのを待つだけ」

 エリザベスはインフェルノにそういうと微笑んだ。

「くっ…!」

 インフェルノの身体は回復したが、椅子に身体を縛り付けられていた。

「何故だエリザベス」

「なに?」

「お前を殺せと命じたのはお前の父親だ。何故私に恨みを持つ」

「確かにそうね。でもパパは殺したわ。貴方に殺せと依頼した人間はあらかたあの処刑場で殺した。

 でも直接手を下したのは貴方よ。私たちはそれを許さない。殺された者は殺した者を恨む。

 死ぬとき苦しかった。だから貴方も苦しませないといけないわ。あの苦しみを味あわせなくてはね」

「罪を裁くのは人間同士でやるものだ…」

「何を言っているの。貴方は裁かれたじゃない。死刑にされかかったとき貴方は死にたくないと言ったわ。

 そして他の者を殺したの。」

「私が!?」

「そうね、私たちの意識を纏めてね。人間の憎悪というものは、そういうものよ」

「……」

「だから、貴方を裁けるのは人間ではないわ、この私よ。私なりの裁き方で貴方を裁くわ。

 貴方は生きながら地獄で永遠に苦しみなさい。」

「断る!」

「そう。…さて、儀式を始めるわ」

 立ち上がるエリザベス。

 その手には儀式用のナイフが握られていた。

「このリリの血と魂を代償に、地獄の門を開く!」


  ドッ!


 己の胸へナイフを突き立てる。

「なっ!?」

 絶句するインフェルノ。

「お前、その体は返すって…」

『知らないわよ、そんなこと』

 リリの身体から抜け出るエリザベス。

 血がゆっくりとインフェルノの元へと流れていく。

 そして、インフェルノの影に血が接触した途端にインフェルノの影が一瞬広がった。


   ごぽっ……


 床から血肉のような塊が沸きあがってくる。

『門が開いたわ、この街全体を覆うほどの大きさで』

「うわぁぁぁ!!!?」

 インフェルノは叫びながら、足元に沸きあがってくる血肉の塊を踏みつけて押し込もうと必死になる。

 しかしそれは踏みつけられ潰れても、後からわきあがってくる肉に飲み込まれるだけであった。









「団長!ネズミがドレス噛んじゃってる!」

 衣装係が叫ぶ。

「なにぃー?ったくロクでもない劇場だな」

「あ、ネズミ。こんにゃろー叩き潰してやる…」

「よしとけ、あとで駆除を頼んでおくから――」

「きゃあああああ!!!!?」

 ネズミを追いかけた衣装係の悲鳴に、団長は振り向いた。

「ひぃ!?」

「だ、んちょう…助けて…ネ、ネズミが…!!!」

 肉をグチャグチャに練ったような化物に腕を飲み込まれている衣装係は必死にもがきながら団長の名を呼ぶ。

「クソ!なんだこの化物め!!」

 団長は銃を抜きながら化物に弾丸を撃ち込む。

「ぎゃあああああ……!!!!!」

 飲み込まれる衣装係。

「くっ…!」

 団長は撃つのをやめて部屋を飛び出た。

 しかし目の前に似たような化物がいた。



   ぞむっ



「ッ!!」

 団長の首が化物の触手によって吹き飛び、その残った体は倒れることなく化物に飲み込まれた。








「!?」

 手を止めるテンクウ。

(…地獄の気配)

「テンクウ!?何してんだよ」

 隣で演奏していた者が小声でテンクウに声をかける。

 しかしテンクウはその声が聞こえていないのか、反応が無い。

「ギャアア!!!?」

 突如、絶叫が響く。

「きゃあああ!?」

 悲鳴を上げるラクリマ。

 化物が舞台の上に上がってきてた。

「ラクリマ伏せて!」

 テンクウは飛び出してラクリマを押し倒す。


    ブンッ!!


 頭の上を物凄い勢いで何かが通り過ぎていく。

「ぐあぁぁっ!!!」

 化物の付近にいた演奏者たちがバラける。

 化物の触手に引き裂かれたのだ。

「いやっ…いやぁぁぁ…」

「しっかりしてラクリマ!」

 泣き始めるラクリマに強く言いながらテンクウは彼女を抱いて立ち上がる。

 ひゅんっ!と軽い音が鳴る。

「下級の分際で!うせろ!」

 宙を凪ぐように腕を振るテンクウ。

 触手がテンクウに触れる前に何か見えないモノで切断される。

「お前に死を!」

 再び腕を振るうテンクウ。

 化物が悲鳴を上げながら消えていく。

「くっ…なんだ、何が起こっているんだ」

 観客の方からも化物が湧き上がっていた。







「きゃっ…何コレねずみ?」

 花梨の膝の上に飛び込んできた小動物に声をあげる花梨。

 抱き上げてみるとやっぱりネズミだった。


   ボコッ


 ネズミの身体が盛り上がり、皮膚が破れて太い骨と肉が花梨の顔を目掛けて飛び出してくる。

   ずしゅっ!

 ガルバの白刃の剣に貫かれ煙を立てて消えていくネズミ。

「この剣は聖剣だ。と、いうことは?」

「悪魔か何かに憑かれてた?」

「そういうこと」

 立ち上がる花梨。

 そしてスカートの中から棒を二本取り出し繋げる。槍だ。




「きゃあああ!?」




 ラクリマの悲鳴が劇場内に響いた。

「モンスター!?」

 あたりに悲鳴が沸きあがり始める。

 観客の中からモンスターが湧き始めたのだ。

 観客は悲鳴を上げながら逃げ始める。

「花梨、さっきのネズミは何匹いるんだろうな」

「何匹だろうと撃退!…ホーリーブレス!!」

 花梨は神聖な力を寄与する呪文を唱え、槍が淡く輝く。

「人間を殺して食べて、完全な形になろうとしているわ」

 花梨は化物を貫きながら叫ぶ。

「今は内臓の状態よ!その間に倒しておかないと大変よ!」

「いやああ!」

 倒れた女性の足に化物の触手が絡む。

「女に手ェ出すんじゃねぇ!」

 青水がその化物を一刀両断する。

「早く逃げて」

 飛剛は女性を起き上がらせ、一緒に出口まで向かった。

 しかし、出口はもっと悲惨だった。

 あたり一面、天井まで血だらけだ。



  ザシュッ!



 飛剛と女性の首が飛ぶ。

『ギギ…』

 ぞろぞろと化物がよってくる。

 女性は血を流していたが、飛剛は流れていなかった。

 しゅうしゅうと風の漏れる音がする。

 不意に、突風が吹き飛剛の身体が跳ねあがり無かった首が再生していた。

「油断した!一回死んじゃったじゃないか!!!」

 怒りの形相をした飛剛はそのまま風を操り化物をズタズタに引き裂く。

「僕はこんなところで死んでられないんだよ、半身が見つかるまで!」

 そう叫んで引き返す。

「飛剛、外は?」

「ダメだ、一応片付けたけどまだいる。纏まって一斉に出たほうが良い」

 青水に答える飛剛。

「あ……」

 顔を手で覆う青水。

「どうしたの?」

「…ちょっと行ってくる、インフェルノ見つけた」

「え!?行ってくるってどこにさ!」

「そこだ…」

 キィンッと音を立てて青水の姿が消えてしまう。

「飛剛くん!青水どこにいったの!?」

「インフェルノのところに行くって…」

「えぇ!?…青水って魔法使えたっけ?」

「別のものなら使えるんだけど。そんなことよりここから出よう、外にもまだいるからかたまって」

「わかったわ、ラクリマさんを…」

 振り返った花梨は唖然とする。

 テンクウがラクリマを抱いてこちらに向かって走っているのだが周りの化物たちがまるで見えない刃に

 切られているのか、テンクウに触れることも出来ずにバラけて消滅していく。

 テンクウはただ腕を振るっている動作をしているだけなのに。

「こちらは全滅です、おそらく楽屋も…」

 辿り着いたテンクウが花梨たちに告げる。

「まずはこの劇場から出ましょう」

 花梨たちは化物の中を駆け抜けて劇場の外へと出た。

 思わず足を止める花梨。

「空が…赤い…!」

「地獄の門が開かれたんです」

 テンクウが言う。

「地獄の門…!? まさかインフェルノ……」

「そのまさかかもしれない。青水がインフェルノの元に行っちゃったんだ、僕はあいつらを探す。

 花梨たちはこの街から出た方がいい」

 花梨に告げる飛剛。

「この街から汽車が出ているでしょう、それで逃げたほうが良い。

 できるだけこの街から離れないと…でなければこの空間では生者は餌食になるだけです」

「そうね」

 テンクウに頷く花梨。

「じゃあ青水くんたちをお願い。私とガルバさんはテンクウさんたちと一緒に駅で待っているわ」

「ヤバそうだったら先に逃げて」

 飛剛は空へ飛び上がり、そのまま屋根の上に着地して走り去っていく。

「あ、ワモッカ」

 ちょうど花梨の馬が走ってくる。化物を避けて軽やかに。

「えらいえらい、逃げてきたのね。じゃあ私はラクリマさんを運ぶから、貴方達は頑張って走って」

 ワモッカに乗り、泣いているラクリマを後ろに乗せる。

「街にも湧いてきたね」

 剣で衝撃波を起こし化物を払いながら呟くガルバ。

「いきましょう!」








「うあぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 形になってきた化物がインフェルノの肩を掴んで、その大きな口を開く。

『頭から丸かじりされちゃうのね…』

 楽しそうなエリザベス。



  キィンッ



 青水が姿を現す。

「でりゃぁぁぁぁ!」

『なんですって!?』

 化物が掻き消える。

「大丈夫かインフェルノ!」

 頭を押さえながら叫ぶ青水。

『どうやってここに!』

「瞬間移動。頭痛が酷いけどな!」

 息を切らせながら言う。

「脳の血管がブチ切れそうだ畜生、逃げるぞインフェルノ」

 インフェルノを縛る縄を切って、インフェルノを抱きかかえた。

『どこへ逃げても一緒よ、ここは地獄』

「知るかバーカ!」

 窓を突き破って外に飛び出す青水とインフェルノ。

「大丈夫かお前、目から血が出てるぞ」

「いつものことだ」

 涙のように血を流しながらも笑顔の青水。

「すまん、ちょっと無理しすぎてエリザベスと闘えそうに無い」

「え…」

 弱気なことを言う青水に困惑するインフェルノ。

「テレポートなんて初めてやったぜ。やってみるもんだな。もうしねぇけど」

 そんなことを言いながら走る。

「お前は剣術バカじゃないのか。なんだその特殊能力」

「特殊能力じゃねーよ、超能力だよ」

(特殊じゃないか…?)

「青水!」

 飛剛が現れる。

「よう飛剛」

「皆は駅に向かってる僕たちも向かうよ。」

 飛剛と合流したインフェルノたちは駅に向かって走った。

 化物たちは地面からあるいは建物から這い出てくる。

「地獄だな…」

「この分だと駅にもいるかもしれない…」

「青水!飛剛くん!インフェルノ!!」

 駅の前で花梨たちがいた。

「駅にも数匹出てきてる!」

「汽車は出発できるのか!?」

「えぇ、早く乗りましょう」

 全員駅の中へ入り汽車があるホームへと向かう。

 化物の数も増え、汽車に迫りつつあった。

「ここも地獄に沈みかけてるのね!早く汽車に乗って!」

「あぁっ!?」

 倒れるラクリマ。

「ラクリマ!」

 テンクウはラクリマに駆け寄る。

「大丈夫か!?」

「ごめんなさい」

「テンクウ後ろ!!」

 叫ぶ花梨。

「ぐぁ!!?」

 吹き飛ぶテンクウ。

 懐に隠し持っていたトランプやら何やらが散乱するが、血は流れていない。

 触手の攻撃は何かに阻まれたらしく、テンクウの服を切り裂いただけであった。

「この!」

 化物を倒し、花梨はテンクウに駆け寄る。

「…ペンダン…ト…」

「これ!?とにかく早く立って」

 落ちていた古いペンダントを拾いながら、花梨はテンクウを起こして引っ張った。

「ラクリマさんも早く乗るの!」

「は、はい」

 花梨はテンクウとラクリマを引きずって汽車に乗り込む。

「インフェルノ、テンクウさんを見て。大丈夫だとは思うけど」

「あぁ、解った」

 先に乗り込んでいたインフェルノにテンクウを預ける。

「青水、飛剛くん!」

 顔を出す花梨。

「貴方達も早く!」

「……」

 青水は刀を鞘に収める。

「飛剛、これもって先にいっちまえ」

 青い刀を飛剛に押し付ける。

「何言ってるんだ青水」

「あと一回でこの身体は死ぬ気がする。だから足止めしている間に街を出るんだ。…行け!」

「…わかったよ」

 汽車に乗り込む飛剛。

「青水は!?」

「足止めするって」

「足止めって、その剣は青水の…今丸腰!?」

 汽車が揺れる。動き出したのだ。

 化物が間近まで迫ってきたので発車したのであろう。

「私も降りる!」

『よせよ花梨』

「青水!?」

 青水の刀から青水の声が響いた。

『残してきたのは俺の身体の方だ、こっちが大丈夫なら俺は死んだことにはならねぇ』







「身体を失うだけだ」

 青水は紐で長い髪を縛る。

「また…新しい身体見つけないとな」

 ビシィッと青水の足元が音を立てて凍り始めた。

 化物たちは青水に襲い掛かる。

「……」

 目を見開く青水。

 ぼんっと化物が爆発する。

 イメージするだけだ。爆発させるイメージをして念を飛ばす、それだけのことだ。

「いてぇな…」

 頭を押さえながらも青水は念力で化物を吹き飛ばし、近づいた化物を氷らせた地面から氷の柱を生み出し

 貫き始める。剣が無い為にいつものように突っ込んで切り込んでいけないのだ。

 しかし数が増えていくばかりで青水の方法では焼け石に水である。

 …それは青水にとって百も承知のことであるが。

『無駄な努力って言葉、知ってる?』

 エリザベスが姿を現す。

「よう、随分と大人びてきたじゃないかガキ」

『あの剣から離れれば離れるほど貴方の力は弱くなる。感じるわ、貴方の生命が薄れていくのが』

「……」

 青水はエリザベスを睨む。

「インフェルノのところにはいかせねぇ」

 腕を広げる青水。

「お前にこれ以上、他人を巻き込まさせねぇからな!」

 物凄い音を立てながら周りが凍り付いていく。

『あいつを自己犠牲で庇う価値なんてないのに』

「うるせぇ!!何かすることにいちいち理由が要るのか!」

 青水の髪が黒く変色していく。

 顔の赤い模様も消えていき、血の涙の跡しか残っていない。

「俺はただお前みたいな女が気にいらねぇんだよ!それだけだ!」

 スゥ…っと青水の身体が氷に溶け込んでいくように消えて行く。

 エリザベスは髪を掻き上げた。

 気温が一気に下がったせいなのかどうなのかは解らないが辺りに雪が降り始める。

 氷はまだ侵食を進めており、それに触れた化物も飲み込むようにして氷らせていく。

『…妙な氷ね。地獄の魔物をも凍らせるだなんて。これじゃあ追えないわ。

 でも、その内に追いかけてあげる。所詮氷だものね、その内に溶けてしまうわ。

 そうそう、青水…まだ聞こえてるかしら?』

 エリザベスは冷たい目で氷の塊を見つめながら、

『汽車の中にあのネズミが潜んでいたとしたら…大変なことよね』





END

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