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インサニアの家は貧しかったが母親は「せめて字の読み書きができるように…」とインサニアを学校に通わせていた。
行きたくは無かったが母が怒るのでインサニアは黙って通っている。
少々無口で感情表現も豊かではないインサニアを良く思わない子供もいて、いじめはしょっちゅうだ。
しかしインサニアもやられるばかりではなく(むしろ性格は短気な方で)よく喧嘩に発展していた。
あまり恵まれていない環境の中でインサニアは日々を過ごしていた。
「おい、テネブレ」
休憩時間にはいりノートや教科書を片付けていたインサニアにいじめっ子リーダーが声をかけてきた。
インサニアの名前だが姓が「インサニア」、名前がこの地方にある古風な言い回しの「テネブラルム」であり皆略して名前を呼んでいる。
インサニアは無視して反応せず窓の外を眺めはじめる。
「おれの母さんが話してるの聞いたんだ、お前の父親ゴーカン魔なんだろ?」
からかうように言う。
「なんだそれ?」
子分格の少年がリーダーに問う。
「うっ…しらねぇよ、でも悪いヤツだろ?こいつのオヤジだし」
「……」
インサニアはリーダー格の少年を睨み上げていた。
「なんだよ?本当のこと言われて怒ってんのかァ?はははははっやーいゴーカン魔の息子!お前も悪いヤツなんだぜ」
「ハハハハハハハッ…!」
「ッうあああああ!!!!」
インサニアは叫びながら開いた筆箱の中にあった鉛筆を握り締めると身を乗り出してリーダー格の少年に鉛筆を振るった。
鋭く先端が尖った鉛筆は容易に柔らかい少年の頬肉を突き破る。
「キャアアアアアア!!!」
女子の悲鳴が響く。
刺された少年は何が起こったのかわからないような顔をしながらも泣き始めていた。
「謝りなさい!!!」
応接室から母親が出てくるなり、インサニアに怒鳴った。
「人様を傷つけるなってあれほどいってるだろうに!」
「ボクは悪くない。何もしていない」
「傷つけただろっ!本当に頭悪いんだからこの子は!」
インサニアの頭を掴んで揺する母。
彼にはまったく理解できなかった。自分が責められる理由がないのに向こうから責めてきたのだ、それに応戦しただけである。
なのに自分が悪いというのはどういうことだろう、さっぱり理解が出来ない―――
インサニアは一部欠落した心をもった子供であるのだが、周りはそれを強制しようと必死だった。特に母親が…。
「とにかく謝るんだよ!」
「……」
応接室から出てきた、いじめっ子少年の父親を見上げるインサニア。
「…ごめんなさい」
ぽろぽろ涙を零しながら、インサニアは呟いていた。
帰り道、インサニアは母に聞いた。
「ボクのお父さんはどこにいるの?」
「お前に父親はいないよ、母さんだけじゃ寂しい?」
「ううん…」
インサニアは首を振る。
「ボクの父親はゴーカン魔なんだって」
「…」
母親の表情が変わる。
「誰から聞いたの?」
「あいつ、ボクが鉛筆刺したあいつがそう言ったんだよ。お父さんは悪いやつだって。
だからお前も悪いヤツだって言われたから刺したんだ。だってボクは何も悪いことはしていないもの」
「………」
「父さんは悪い人なの?」
「………」
母親はインサニアの手を引っ張って歩きながら、小さく呟いた。
「お前は悪い子じゃないよ…」
◆◆◆◆
インサニアは成長し周りのことが良くわかってきた。
どうやら自分の産まれは良く思われていないらしい。
母親はどこの誰かわからない奴らに回されたそうで、それで身ごもってしまったようだ。
そいつらを見つけたところで自分が一体誰の子なのかはわからないだろう。
もはや誰でも良い。自分には関係のないことである。
ただ自分は父親似なのかもしれないと思った。
成長していくほど母のヒステリーが酷くなってきたように思えるからだ。
復讐するために腹を痛めて生んだのだろうか。なるほどそれならばモトが取れるまでイビるしかない。
そう納得するインサニア。
「あーもう!この子ったらトロいんだからいつまで食べてる気!!!」
インサニアの頭を掴んで前後左右に揺さぶる。
これがクセなのかもしれないが、やられる方は気分が悪い。まだ食べてる最中だし。
「勉強しなさい!もう下げるわよ!」
「あ……」
持って行かれてしまう。
「医者になるんでしょ!?いっぱい勉強して母さんを喜ばして頂戴!あんたは母さんに苦労ばっかりさせてるんだから!
この前だって同級生の子を殴って!ほんとにもう!!」
「わたしは悪くない」
「はいはい…はぁ」
頭を抱えてため息を吐く。
「人を傷つけても平気な顔してる子が医者になれるのかしら……」
「父さんに似たのかな…わたしは」
キッとインサニアを睨む母。
「父親の話はよしなさい!汚らわしいっ」
「なんで母さんはわたしを産んだんだ。おろせばよかったのに」
「……ッ!!!!」
再びインサニアの頭を掴んで振る。めいいっぱい強く振る。
「なんでだろうねっ…でも、子供には罪はないよ……」
「当たり前だ」
「わかってるんじゃないか!!!」
「痛い、髪が抜ける」
◆◆◆◆
インサニアは大学に進んだ。
大学は分野に別れており、インサニアはいわゆるエリートコースを順調に歩んでいた。
そこで地味な女子と付き合うようになる。女子から何やらアピールをしてくるのだ。
インサニアは恋愛の感情はまったくなかったがその化粧ッ気がなく、地味ながら清潔そうな容姿から心を僅かながら許していた。
化粧や香水が嫌い。不潔感のある人間はもっと嫌いだった。
一緒に寝るようになるのだがそこで彼は新しい自分を発見する。
その女子はマゾヒストだったのだ。
彼女を甚振ることで心の中にある何かが発散されていくような、そんな感じに安心を抱くようになっていた。
それからピタリと他人への暴力が無くなったが彼女への暴力が酷くなり彼女の方から逃げるように別れた。
彼女からしてみればインサニアのエスカレートしてきた攻めはただの暴力にしか感じなかったのである。
お互い満足し合えていなかった。それだけだった。
それからはインサニアはマゾヒストの女子を相手にするようになったが長くは続かない。
大体がインサニアに問題があった。
しかし彼は気にもしないで次を探す。彼にとって攻撃的な精神を合法的に発散させられればいいだけなのだ。
「わたしたち別れましょう…」
インサニアに背を向けて、女が言う。
彼女とは一ヶ月つきあっただけだ。最近かなり別れるのが早くなっている気がする。
「そうか」
「…貴方私のこと愛してくれてない!」
ぱんっと乾いた音が響いた。
「……」
後から痛みがやってくる。痛む頬を押さえるインサニア。
「酷い男!」
「待て…」
インサニアが去ろうとする女の腕を掴む。
「なに―――」
バシっと音を立てながらインサニアに殴られる。
「っ…」
女はよろけながら逃げるように走り去っていく。
「…ふん」
ベンチに座るインサニア。
殴られたのは初めてかもしれない。
痛い…。何故殴られたのか解らない。
「…さっきの彼女?」
「!」
後ろから声がかかり振り向く。
木の後ろから赤髪の男が顔を覗かせていた。
「いや…立ち聞きするつもりなかったんだけどよ…俺いつもここでメシ食うんだよねハハハハ」
「……」
男がインサニアの横に座る。
「悪かったって。そんな怒るなよ」
「別に、怒ってなんかいない」
「そうか?…あーあ、手の痕がくっきりついてる」
「………」
眉を顰めて頬にヒールをかけはじめるインサニア。
「フラれちゃったの?」
「そうみたいだな」
「もったいねぇ、さっきの子可愛かったじゃん」
「お前にやる。使用済みが嫌いじゃなかったら」
「生々しい言い方するなよ…えーと、俺マルク=レーニ。マークでいいよ。アンタ見たことある、講義のときに。
いつも白い服きてるから覚えちゃった」
ニコニコしながらいうマーク。
「母さんが白が好きなんだ。わたしも好きだから別に構わない、だから白い服」
「へぇ…」
マークはインサニアをしげしげと見つめる。
白い服に黒いズボン、手はいつもはめている白い手袋。
インサニアの顔は悪くなく、どこか謎めいた風貌があった。それが怪しいと感じるか魅力的だと感じるかは人それぞれかもしれないが。
マークにとっては後者に思えたのだ。
「傷心してる?」
「は?」
「いや、思いっきりフラれてるしさ…」
「別に。フラれるのには慣れてる」
「……」
「そろそろ時間だ。わたしはもう行く」
「あ、あぁ……」
スタスタと去っていく。
まったく掴みどころの無い男だ。
「変わってるんだな…あ、そういや名前言わなかったなアイツ…」
「この街はいいよ、医学に力入れてさ、汽車も通ってるし近代的」
マークは本を読みながら言う。
大学の寮、インサニアはその寮に住んでいるマークの部屋にいた。
インサニアはこの街で生まれ育ったが、彼は違うらしく隣の国からやってきたそうだ。
「金がなければ不自由するけどな。自由に生きられない」
「そりゃあ金があれば遊べるだろうけど…。インサニアってたまに金にこだわるな」
「貧しいから。母さん、無理して働いてるんだわたしのために。金さえあればわたしという存在に縛られないはずだ。
わたしは嫌だ、他人のために生きるだなんて。だから金が欲しい」
「医者もそんなもんじゃないか、他人の命を救うのは他人の為じゃん」
「……」
インサニアは黙って本を眺めながら黙々とペンを動かす。
「他の街は…どんなカンジなんだ?」
「んー、あんまり変わらないと思うよ。ただこの街みたいにデカい病院とかないだけで。あの病院でかいな~」
「あぁ、地下もある」
「地下も?」
「隔離病棟だ。知らないのか」
「いいや、初めて聞いたよ。…地下に隔離病棟か…なんか怖いな…」
「そうか?」
「オバケが出るってパターンじゃん!」
マークの発言に思わず噴出すインサニア。
「あぁ!?なんだ貴様!笑うな!!」
「だって…もういい年した男が…オバケって…」
「この街教会ないしっ…出たらどうするんだよ」
「一応教会はあるぞ。小さいけど。…なんだマーク、お前そういうの嫌いか」
「うぅっ…」
悔しそうなマーク。
何だかんだでインサニアとマークは親しく付き合えていた。
マークの人柄のせいなのか、嫌悪感が沸かないのである。
「と、ところでインサニア…お前の変な噂があるんだが」
「?」
「俺の友達がいきなり『お前はマゾなのか?』とか聞いてくるからどうして?と答えたんだ。
そうしたらお前がサドで有名らしいじゃないかっ俺誤解されたぞ!?お前サドなのか!?」
「あぁ……今頃知ったのかお前は」
「サドだったのかっ」
「逃げなくても男には興味ない」
「そ、そうか」
安心するマーク。
「…別に他人がどうこう言っても関係ないからな、わたしにとっては」
「なんでそうクールなんだお前…気分悪くならねぇ?裏でこそこそ悪口言われてるみたいなもんだぞ?」
「言わせておけばいい。別にマークが言われてることじゃないのにどうしてそこまでお前が気にするんだ」
「俺ら友達じゃないかよー…なんか気分悪いじゃん。お前が気にしないならいいけど…。
そうか…お前サドだから彼女の入れ替わりが激しいんだな」
「どれも持たない。女は脆いな」
「お前…無茶苦茶なことしてるのか?」
呆れるマーク。噂は大体のことが本当なのかもしれない。
「ん…誰かを殴っていないと落ち着かないんだ。殴らなかったら短気になる」
「あぶねぇ。ってかそれって愛というかそういうの無いように感じるんだが…」
「ない。」
「……お前ヘタしたら犯罪おかすんじゃね?」
「犯さないように気をつけてる。合意の上で殴ってるしな」
「でもさぁ、いくら合意してても女の子殴るのはいけないよーな…」
「…そうだな、女は脆い」
「いやそうじゃなく…お前には思いやりという感情がないのか…」
頭を抱える。
「そういえば男を相手にする、という発想がなかったな…。身体的に女よりも丈夫なはずだし…なんで思い当たらなかったんだろ」
「ちょっ…なに怪しげな独り言いってるんだよ!男に興味ないんだろ!?」
「ない。けど殴れれば誰でもいい」
「サンドバックでも殴ってろ!」
「人じゃないとダメだ」
首を振るインサニア。
「マーク、わたしの友達を名乗るのならば付き合え」
「なんでだよ!俺マゾじゃねぇぇぇぇ!!」
「あとでヒールで治してやる」
「やめんかぁぁぁぁぁ」
もみ合う二人だが、インサニアの方が手馴れていた。
素早くマークの腕を後ろに回す。
「いだだだだだっ!!!」
「ククッ…無様だなマーク。そのまま縛ってやる」
「お、お前なんか頭の中でスイッチ入ったな!?SMモードとかそういうの!」
雰囲気の変わるインサニアに半泣きで叫ぶマーク。
インサニアはマークのベルトを外すとそれで腕を締め上げた。
「あっ…」
「最初から殴りはしない」
マークの髪を掻き上げながらインサニアは首筋に舌を這わせ始める。
「まっ待て…触る、なっ……」
ズボンの中に手を差し込まれ身悶えるマーク。
「…」
インサニアは真面目な顔でマークを見つめながらも手は動かす。
「感じてるな」
「触るからだろっ…!」
「…」
薄笑いを浮かべながらインサニアはマークのズボンを擦り下ろした。
「ばかっ!見るな!!」
「……」
インサニアの動きが硬直する。
「インサニア…?」
「うぐっ!」
口を手で押さえ慌ててトイレに駆け込む。
「ちょ、ちょっとまてー!!!このまま放置かオイ!!!「」
マークはジタバタともがき、奇跡的にベルトを外せてズボンを履きなおしながらトイレに向かう。
「インサニア!?」
「ぐっ…っ…」
思いっきり吐いていた。
「お前~~人のモン勝手に見て吐くとかどういう了見だ…」
マークはそういいながらもインサニアの背を擦ってあげる。
「あぁ…あぁそうだ…そうだったのか…」
「?」
「わたし…男はだめだ…ダメだったんだ…げほっ…気持ち悪い…」
「大丈夫かインサニア?」
「母さん犯したヤツ想像して気持ち悪いんだ…だから避けてたんだ……」
「………」
マークは黙ってインサニアの背中を擦ってあげた。
「落ち着いた。」
インサニアはベッドから身を起こしながら言う。
「もう泊まったら?」
「母さんが待っているから。迷惑かけたな」
「いや…」
「マークのお陰で新しい自分を発見できた。うん、きっとわたしは父にそっくりだから…自分を含めた男が嫌いなんだ。
汚らわしい…」
母の口癖を呟くインサニア。
「きっとわたしの暴力も父親ゆずりに違いない」
「お前の父親って…?」
「母を強姦した男だ…男達というのか、まぁ複数らしい。その中のどれか」
「わりぃ…」
「マークはまだこの街に住んで日が浅いから知らないのも仕方が無い。気にするな、私も気にしていない」
(ホントかよ…)
マークはインサニアの横に腰掛ける。
「顔見せてみろ」
「ん…」
インサニアの頬に手を当てながら顔色をチェックする。
「まだ悪いな…本当に大丈夫か?」
「大丈夫……」
「無理すんなよ、お前顔に出にくいんだから」
苦笑しながらマークはインサニアを抱き寄せて頭をくしゃくしゃ撫でる。
「不思議だ…消毒してないのにマークに触られても嫌悪感が無い…」
「お前…そのなんでも消毒したがるのヤメロ…」
その時、突然ドアが開いた。
「おーいマーク!お前の田舎から――」
マークの同僚が手紙を持ったまま硬直する。
「邪魔したな…マーク君の不潔ッ」
「え?あっ!?ちょっと待てコラァ!!」
慌てて締まるドアを手で掴み開く。
「誤解すんなってば!!!」
「照れるなよ…うぅっマークがそんな男だっただなんて…」
「違わいっ!気分が悪くなったから調子聞いてただけだ!」
「でもマークの服着てるってことは…終わった後だろ?」
「吐いて服汚したから貸したんだよ!!で、それ俺への手紙だろ!?よこせ!」
「おっと」
手紙を奪うマーク。
「………帰る」
荷物をカバンに詰めて、インサニアがマークと同僚を押しのけて出て行く。
「もう少し休めばいいのにアイツ…マザコンめー」
「マーク、やっぱりお前……」
「違うっつーに!」
****
後日。大学の廊下にて。
「マーク、昨日の服」
「あ、あぁ」
インサニアから黒のシャツを渡されるマーク。
「きっちり洗っといた。安心しろ」
「ありがとう…でも消毒液臭いのはちょっと遠慮したかったかな……」
消毒液をぶっ掛けたのかはわからないが、洗濯物の洗剤の香りはせず消毒液の匂いが嗅がなくても匂ってきていた。
END
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