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鬼譚収録用草案
目の前に沙汰がいる。
ここはどこかの屋敷だろうか。見知らぬ家具が置かれている。
いや知っているような気もする。
色んな記憶が混ざっているような奇妙な感覚。
目の前の沙汰はただまっすぐに見つめてくるので奏は視線を逸らした。
こうやってお互い二人っきりで向かい合ったことがなかったせいかもしれない。
記憶にあるのはあの嫌な座敷か、畑だ。
小豆色の着物を着た沙汰の顔は包帯に覆われている。
しかしその目はあの狂気の色はなかった。
嗚呼、チガウ。
―――自分は後ろめたいのだ、沙汰を真面に見ることが出来ないのだ。
『お前はみこさまを救うのではないのか』
「…救えなかった」
『正法院、お前は何を言っている。それをみこさまだというのか』
「…?」
奏は自分が何かを抱きしめているのに気付いた。
みこだ、青白い肌をしたみこを抱きしめている。
沙汰はあの鎌を手にして刃を向けてきた。
「土鎌、お前も、みこを殺せというのか」
『それはみこさまではない。』
「みこだ、これは…」
奏はみこを抱きしめる。
『みこさまではない!』
「!」
沙汰の怒声と同時に奏の体にみこの髪が絡みだす。
「土鎌、やめろ!土鎌…!!!」
『これがみこさまだというのか!こんなものが!』
鎌を振り下ろしてくる沙汰からみこを庇うように背を向け逃れようとするが、いつものように身体が動かない。
みこの髪が身体を蝕んでいる。
「あ、あ…あ…」
ふと家具の一つ…鏡台に映る自分の姿に奏は戦慄する。
自分しか映っていないその鏡の中の己の顔がひどかった。
この目は良く知っている。
この目は狂気だ。あぁ、土鎌もあの旋次郎も同じ色をしていた。
自分も同じ目をしている。
『これはみこさまではない』
沙汰の声。
「…それは、なんだ?」
沙汰の鎌がみこの髪を切り落とし、引きはがされて…奏は見上げながら問いかけてしまう。
みこではなかった。
それはみこの顔ではなかった。
真っ黒い闇の中に目が浮かんでいた。
『正法院…みこさまを救ってくれ』
「土鎌…?」
****
カッと目を開く奏。
そのまま枕元に置いていた刀を抜いて自分の影に向かって突き下ろした。
ドスンという鈍い音としゅうしゅうと黒い煙が上がる。
「……」
奏はギリッと奥歯を噛みしめながら刀を影から引き抜くと、寝巻のまま荒い足取りで部屋を出て禄のいる部屋へ向かう。
禄はまだ眠っておらず、本を読んでいた。
無言のまま、乱暴に襖を開けて入ってくる奏を咎めることもなかった。
禄には見えていた、奏の虚無が消え失せ、そして奏の左腕の門が開いていること。
そして奏の顔に青い隈取が浮かんでいることも。
奏は左手に握りしめている刀を離すことなく胡坐をかいて禄の前に座った。
奏らしくない作法であるし、その表情も怒気を孕んでいる。
奏自身怒っている。しかしそれ以上に恐らく、奏に力を貸している者が怒っていてそれに奏が引きずられているのだと禄は察した。
なのでこの乱暴な態度は奏の意思ではないであろう。
「力を取り戻しましたか、正法院さん」
「己の未熟さに苛立ちを覚える。」
「怒りに飲み込まれれば反転してしまいます、正法院さん」
「…殺す、あやかしはすべて殺す。私の前に現れるあやかしは総て!!!」
叫ぶ奏。
しかし顔を俯かせたと思えば、刀を前に置いて姿勢を正した。
「…土鎌がみこを救ってくれと」
先ほどとはまったく違う、静かな口調。
奏自身に戻ったようであった。
「この刀に、土鎌の思念が少し残っていたようだ。…それにも気づかなかった。
禄、私はみこを救えなかった。しかし救いに行こうと思う。みこの遺体はまだ畑の中だ。
沙汰の遺体はあやかしに連れ去られた、二人をきちんと弔わなくてはならない。」
「はい、僕も力を貸しましょう」
「ありがたい。…私に力を貸している者は先ほどからとても怒っていて今日は眠らせてくれぬかもしれない」
「ふふ、そうですか。これを機にお互い少しお話をされてはどうです?」
「できるかな?」
「できますとも、正法院さんをずっと見守っていてくださってますから」
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