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※忌譚収録
 奏は山の中で休息していた。

 その表情は少々強張っていた。普段ならば受けた傷は普通の人よりも早く癒えるはずなのだ。

 なのに火車との戦いにより負った傷はなかなか治らず、それが元であまり感じることのない疲労も感じていた。

 川の流水で傷口を洗う。期待はしていなかったがやはり冷水は傷の熱を静めさせることはなかった。

 このままでは峠を越えるのも難しいかもしれない。しかし前へ進まなくてはいけないのだ。ここで足を止めているわけにはいかない、己の使命を全うするために。

 奏は再び歩み始めるが「ぐ…ぅ…」と唸り、ずるりと体が倒れてしまった。全身がひどく重い。

 意識も鉛となったのか暗闇へ沈んでいく。


「君、大丈夫?」


 透き通った少年の声がかけらるが、意識を落とした奏の耳には届かなかった。



   ****



 奏自身、自分の出生については詳しく知らない。

 赤子の時にとある寺の門前に捨てられていたと聞く。

 そしてその寺の住職に拾われた、それが今の義父だ。

 お前には特別な力があると義父に教えられ、それを使いこなせるように体を鍛え精神を鍛え、体術を学んだ。

 特別な力―――この左手には浄化の能力がある。

 ならばこの力を使うしかないのだ。

 この力を以って、人間の心の弱い部分に付け込んでくる邪悪なるモノたちを退治していかねばならない。

 これはそのためのモノだからだ。



 この命尽きるまで―――



   ****



 ちゃぷり、と水音が小さく聞こえた。なんの音かと思う前にひやりとしたものが肌を這うので冷たい布で身体を拭かれているのだと分かった。

 また水音がする。身体を拭った布を桶に張った水へ浸して濡らしなおしている音だ。

 薄らと目を開くが、焦点がうまく定まらない。

 ここはどこだろう、と奏はぼんやりした思考の中思う。

「ハッ…ここはどうしたら」

 少女の声が聞こえる。

「綺麗にしないといけないけど、男の人のここを綺麗に…いや、これは患者…、患者よ巻! 禄のを見てるから大丈夫!大丈夫!」

(何を言っているのだろう…)

「とぁ!」

 妙な掛け声とともにバサリと布の音。

「禄のより大きい!」

「ッちょっと、待て!!」

 奏は飛び起き―――かけて全身に激痛が走り呻く。のたうち回りたいぐらいだが、その動きさえできない。

「あぁ!? 大丈夫ですか!? 気が付いたんですね! 3日間寝込んでたんですよ?

 まだ熱も引いてないし…あの、遠慮しないでくださいちゃんと綺麗にしますから」

「ま、まって…」

 ぷるぷる震える奏を尻目に少女は意を決した表情で再び奏の下半身へ向き―――かけてそのまま背後からやってきた男に頭を掴まれコテンと後ろへ引っ張り倒される。

「ヨゥ巻ちゃん、おめー何してんだよ」

「ゆ、油井せんせぇが体拭いとけっていうから私は助手としてのお仕事してるんです…!」

「患者動かしてんじゃねぇヨ」

 油井は悶えている奏を元の位置へ戻して奪われていた掛け布団を被せた。

「わざとじゃないですから!」

「まぁいいがよ。ヨォ、気づいたか?

 おめー山の中で倒れてたんだってよ。傷の手当もロクにせず、その上屍毒に侵されてバカかよ。一応手当はしてるが動くんじゃねぇぞ?

 しばらくはオレっちとこの頼りない助手の世話になりな」

 油井はぽんぽんと巻の頭を撫でる。

 巻がムっとした顔になっているのは頭をポンポンされていることに対してではなく『頼りない』と言われたからだろう。

「…助けてくれたことは礼をいう」

 奏はつぶやく。同時に声がかなりかすれているな、と自覚する。

「礼は神童にいってくれ、あいつがおめーを拾ってここに連れてきたんだよ」

「あ、神童って呼ばれてるのがわたしの兄で、禄があなたを山の中で見つけて運んできたんです。今は外出してるけど戻ったら挨拶にくると思うわ」

「ま、悪いようにはしねーから。さっさと傷治すこったな」







 神童と呼ばれる少年は巻と同じ背丈の可愛らしい少年だった。

 顔立ちや背丈が似ているのは『双子』だからだという。ただ巻のような無邪気さはなく、大人びた雰囲気を持っていた。

 聞けば子供ながらも聡明で、見えぬはずのものが見えるという…つまりは奏と同業のものということだ。

 奏の枕元に座り挨拶を済ませると、禄は奏の体に触れる。

「毒の怪我に妖気が染み込んでしまっている。よほど君への恨みが強かったんだろうね。君も意識を取り戻したし祓っておくよ」

「いや、これぐらいなら自力で対処できる」

「少しぐらい頼ってよ」

 禄は小さく笑いながら榊の枝を出してきて、礼をしてから呪を唱え始める。

(…祓われるのは初めてだ)

 居た堪れない気持ちになる。今まで自分の身は自分でどうにかしてきた。こういうのはどうにも落ち着かない。

「…君の左腕は『門』だね?」

 終わった後、禄は神妙な面持ちでつぶやいた。

「…?」

 禄のいう『門』というものが、奏にはどういったものなのかわからなかった。

 そもそも自分のこの力について何も知らないのだ。

「あ、もしかして自分でもわかってないのかな? それは少し危険かもしれない、かな。」

「何のことだ?」

「君は自分の力について調べたことは?」

「とくには」

「じゃあ僕が調べておくね。ゆっくり休んで。」

「…?」



    ****



「~~~~ッッ」

「か、奏さん!? どうしてそんな痛そうな顔するんですか!? はっきりと口で痛がってくださいよぉ~~~!!!」

 巻は泣きそうになりながら包帯を緩めようとしているのだが慌てているせいで寄りかかりすぎて奏の腹を押さえている。

 巻はびっくりするほど治療が下手だった。

 先ほど薬を塗った湿布を傷口に当てるのも酷いものだったのだ。

 家事全般はきっちりこなすし裁縫だって上手なのに、コレだけはどうしてもダメなのだという。油井曰く「リキみすぎてんだヨ」とのこと。

 それでも重傷であっただろう自分に巻をあてがうのは人の手が足りないのか、それとも練習台にされているのか…。

「あ!? ごめんなさい! わたし奏さんの上に乗ってる!!」

「ま、まき…」

「ひゃう!?」

 身を起こしながら巻を抱きかかえ腕の中に収める。とりあえず捕まえておけば大丈夫だろう、という判断だ。

 奏はぬっ…と巻の目の前に、解けかけた包帯が巻かれている腕を差し出す。

「頼む」

「はい! がんばります!!」

 一生懸命な彼女を見ているのは不思議と飽きなかった。むしろ心の中で湧いてくるこの感情がよくわからなかったが、不快感はない。心地よさすら感じている。

「奏さんはいっぱい戦ってきたんですね。古傷がたくさん…」

「あぁ」

「怪我するの痛くないんですか?」

「痛いけど気にならない。妖怪は退治しないといけないから、この身体もこの命も何度傷ついてもいい」

「…」

 巻が見上げてくる。悲しそうな、しかし怒っているような…初めて見る表情だ。

「それはだめです、もっと自分を大切にしてください」

「これが私の生き方だ」

「じゃあ怪我したら治療しにここへ来てください! 何度でも診ます!」

「油井先生が診てくれるんだよね?」

「ひどっ!!」

 ふっ…と柔らかな表情を浮かべる奏。

「わ、わたしだって立派なお医者になるんですから! …奏さんって怖い人かなって少し思ってたんですけど、笑えるんですね。よかった」

 巻はにっこりと愛らしい笑みを浮かべる。

「…」

 奏は不思議そうな顔をして、自分の顔を撫でた。初めて笑ったかもしれない。

 もしかするとこの感情は『楽しい』という気持ちなのかもしれない。巻と過ごすのが楽しい、ということなのだろうか…?

 奏は唇をギュっと締めて布団に倒れる。

「奏さん? 疲れちゃいました? ゆっくり寝てくださいね。おやすみなさい」

 巻は優しく声をかけながら奏に布団を被せ、部屋をでる。

 一人になるとこの部屋はとても静かだ。そうすると心の声が聞こえてくるような気さえする。この心地よさを感じていてはいけない、と心が訴えているような気がするのだ。



 討てという、あやかしたちを討てと。



 殺意を以って討てと―――



   ****



 傷が塞がった奏は身体も自由に動かせるようになってきたので夕餉には禄たちのもとへ案内されていた。

 奏が寝かされていたところは油井の診療所ではなく禄の屋敷だったことが後でわかった。

 屋敷の本来の主――禄たちの父――は現在所用により不在で、今は禄が主の代わりを務めているそうな。

 禄と巻以外にはその場に二人の知り合いがいたりいなかったり、顔がころころ変わっていったいどういう交友関係を持っているのか奏には察することもできなかった。

「ごちそうさまでしたー」

 満足そうな笑顔で巻は手を合わせる。彼女は本当においしそうに食べるな、と奏は思う。

「正法院さん、少しお話いいですか?その左腕のことなんですが」

 みな食事も終えて、片づけ終わった後に禄が改まっていうので奏は頷いた。

「あなたのその能力は…腕を媒介に『門』を開いて浄化の力を操っているのでしょう。無意識で行っているのがすごいですね。それは才能といってもいいです。」

「…『門』というのはどういうことだ? 私の力は異形の者から授かっているのか?」

「どこに繋がっているのかはわかりませんが、きっと神界のような場所に繋がっていてその浄化の力を持つモノから借りているのでしょうね。

 向こう側の誰かをこちらへ呼んでいるわけではないのでその左手にしか力が宿らないのでしょうけど、もし誤れば貴方は力に呑まれてしまう。

 たとえば『門』が壊れると貴方の存在が向こう側のモノと反転してしまう可能性も。」

 そこで禄は言葉を切る。禄の視線を辿ると巻が新しいお膳を持ってきていた。

「話が長くなりそうだから飲み物持ってきたわよ」

「ありがとう巻ちゃん」

 巻はお茶とお茶菓子が乗った膳を禄の前に。奏の前にお銚子と肴が乗った膳を置いた巻は奏の横へ座るとお猪口を持ち上げ奏に差し出した。

「あ、酒は…」

 まで言いかけて、折角持ってきてくれたしと考え直してそのお猪口を受け取りお酌してもらう。

「…『門』が壊れるとは、具体的には」

「その左腕を失うとかかな。だからもう少し自分を大切にしてください。」

「…」

 相手は少年なのに、気迫に負けて奏は黙り込む。そうして禄と奏は『門』のことと、最近の妖怪の話や、峠を降りた街にある『妖怪屋敷』の話をした。

 奏は己の力が自分自身の物ではなかったことに少々気落ちしたが、それを察したか禄は『神霊を霊媒する体質はそうそうない』と言ってくれた。

 喜んでいいのかわからない、自分は降霊など経験したことなどないのだから。

 だがしかし『あやかしを殺せ』と言ってくる気がするのは、それが囁いているのかもしれないと思うと腑に落ちた。

 打ち砕きたいから力を貸しているのかもしれない。そういうことなのだろう。

「街には半妖の方が何人もいますから、その腕はその人たちにとって危険ですね…。街中を包丁持ってうろつかれるようなものです」

 禄は『妖怪屋敷』がある街の話をしていた。

 人間の街に半妖がとけこんで暮らしているという、奏にとっては信じがたい街が存在しているのだ。

「妙に的確な表現」

「少し魔封じを施してもいいですか? 特殊な布を腕に巻くだけですから左手を使いたいときはそれを外すだけでいいです」

「不本意だが…」

 しぶしぶ了承する奏。彼も全てのあやかしを討ちのめしたいわけではない。人を救うために討つという明確な理由がなければ自分から討ちにはいかない。

「ところで奏さん、飲んでませんね?」

「………」

 奏は無言で銚子を手に持ち、巻に向かって傾ける。

「お酌ですか!?まってまって!」

 慌てて杯を出してそれを受け止める。

「いただいちゃっていいんでしょうか…」

「好きなくせに…」

 禄のつぶやきにてへへと笑う巻。

「奏さんも、妹を酔い潰そうとか考えてないですよね?」

「…別に」

 短く答えて奏は少しずつ飲み始める。

(お酒飲めないなら飲めないとおっしゃってくれればいいのに…。巻が面白いからいっか)

 禄は苦笑して二人を眺める。

 奏の体もかなり回復していることだろう。それよりもその回復速度に禄は驚いた。

 おそらく『門』の影響だろう、しかしいくら体を鍛えていると言っても普通の人間が耐えれるものなのか―――

(純粋そうだし、反転が怖い…)

 何人か見てきた、異形の力に飲まれる人間を。

 人は容易く『鬼』へと堕ちる。



   ****



「世話になってしまった、何も礼ができないことが心苦しいが…。」

「また旅が落ち着いたときに顔を見せに来ていただければいいです」

「ぜったい来てください!」

 禄と巻の笑顔につられて微笑む奏。

 ふと刀に目をやって、手で撫でる。

「刀が…手入れされてる?」

「はい。だいぶ痛んでいたので知り合いの鍛冶師に見てもらいました。」

「本当にすまない」

「いいんです。あなたにそうしたいと思っただけですから。ここの峠を下れば街です。あぁそうだ…話した『妖怪屋敷』は近づかない方が。あの子面倒くさいから。」

「家来たちはまともなんだけどね」

「ともあれ、その先は海道で、漁師の村などがあります。人づてに目的の場所への道を聞いていけば確実でしょう」

「目的のある旅とは言ってないが」

「なんとなく。それに『澱み』を感じるんです、遠くで深い澱みを感じる…きっとあなたはそこへ向かわれる」

 全てを見透かすような禄の目がまっすぐ奏を見つめる。千里眼持ちなのかと錯覚しそうなほど、その視線は心を見ているかのようだ。

「……また、ここに来る」

 それだけ告げて奏は背を向け歩き出す。

 足は軽くいつもの調子で前へ歩めるが、後ろ髪を引かれる思いを感じた。
※以下は初期に書いた文章

「気がついた?」

「…」

 奏は虚ろな目を声の方へ向けた。

 藍色の着物を着た少年が座っていた。

 優しく微笑んでおり、それだけでなんだか心が休まるような、妙な気持ちになる。

「っ…」

 声を出そうとしたが、乾いた唇からは空気が漏れるだけだ。

 左腕も激痛が走る。

「動いてはダメだよ、まだ傷が塞がっていない。屍毒に犯されてるのに手当てしないだなんて、無茶なことを。

 しばらく毒が抜けるまで僕の知り合いのお医者に見てもらうからね。

 名は、なんというの?」

「…正法院、奏」

「正法院さん、僕は禄。この家の主は今いなくて僕が代わり。よろしくね」


   ****


「貴方の腕は不思議な腕だね」

「…退魔の力を宿していることか?」

 包帯を巻く巻のぎこちない手の動きを眺めていた奏は禄に目を向ける。

「生まれたときから?気づいたのはいつ?」

「あぁ、義父上がこの手はそういう手だと、幼い頃からずっと…。」

「なるほど…」

 禄はウンウンと頷く。

「正法院さんに一つだけ教えとこう。

 僕の見立てでは、その腕は普通の腕だと思う」

「…?」

「その左腕を媒介に、君は退魔の力を引き出しているんだ。

 解りやすく言い換えると…僕はお札を使うけど、札の代わりが腕って感じかな?」

「…右腕でも力を出せると?」

「そうカンタンにいかないだろうけどねー」

 禄は苦笑する。

「左腕に『門』がある状態なんだと思うよ、その『門』を開くコツさえ掴めば右腕でもいけると思う。」

「…門」

「鬼門の逆、神門だね。正法院さんは門の番人なんでしょう。なんだかそんな気がする。

 ふふ、鍾馗の絵を思い出しちゃった」

「できた!」

 巻の声で二人は腕に目を向ける。

「……」

「……」

 とってもブサイクな巻き方をされた腕があった。

「巻きなおしてあげますよ、正法院さん」

「ちょっと!どうしてよ!!!」

「これ多分すぐ解けてしまうよ?」

「しっかり巻いたのに!」

「まぁまぁ巻ちゃん、奏さんの前で大きな声はどーかなー?」

「ううう!」
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