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奇譚に司さんの文章で収録しています。上巻下巻に分かれることになったので収録している方は後半は変えてます。
 黄昏時になったので伍壱は門を閉めるため玄関を出た。

 雲行きが怪しいので早い目に門を閉ざしておこうと思ったのだ。

 日が沈みかける空は赤ではなく紫色に染まっている。

 薄雲が張っているとたまに見かける色であるが、やはり赤ではないので奇妙な気持ちにはなる。

 ふと門の人影に気が付いた。

 いつの間に立っていたのか、来客者かと目を凝らせば妙な姿だ。

 今から合戦にでもいくのか、といった風貌である。

 しかし上等な鎧を着て、腰に太刀と脇差を差し、後ろに火縄銃を引っ提げていた。

 その男の顔は端正な顔立ちをしており、表情はなかった。

 虚ろな目で色白な肌であったため幽鬼かとも思った。

 一歩男は踏み出して門をくぐる。

「…お前は?」

 武士は伍壱に気づいて声をかける。

「この屋敷の当主代理をしております」

 何故かわからないが、見知らぬ武士に応えてしまう。

 それほどまでに武士の存在感が希薄であった。

「当主代理…なぜ門を開けている?」

「当主の帰りを待っているのです」

「……」

 武士は初めて人間らしい表情をした。切れ長の目を少し丸くしただけであるが、それだけで愛嬌がでる。

「阿呆ではないか?か…帰ってくると…?はぁ…貴様の一族は阿呆だな。捨てればよかろうに」

「貴方さまは一体…?もしや輝美さまの血縁でいらっしゃいますか?」

「あ?あー、うむ、朧げだが少しずつ思い出してきたぞ。ここは火野の屋敷か」

 武士は片手で頭を抱えるような仕草をしながらぶつぶつと一人納得し始める。

 思い出してきた、という言葉に伍壱は首をかしげる。

 そしてここの屋敷の名を知っているのだ、当主の血縁か友人か―――

「赤嶺、安心しろ赤嶺。別にお前を捨てはせんぞ」

 後ろの火縄銃を撫でながら武士は呟くと伍壱に視線を向きなおした。

 それは少し冷やりとする視線だった。

「この屋敷に輝美の武器庫があったはずだが?武器は残っているのか?」

 残っているのか、という表現はおそらく屋敷を維持するために少々売っただろうという推測もあるのだろう。

 たしかにいくつか売られてしまっている。

 これは伍壱が売ったのではなく、一族が資金の工面がどうしてもできずに少しずつ売っていった経緯があるのだ。

 一番立場の弱かった伍壱に止めることもできなかった。

 思い出のある刀も売られており、本当にわずかしか残っていない。

 伍壱は冷やりとした空気の中、生きた心地がしないまま武士を蔵へ案内する。

 目の前に並べられた刀を見て武士は大きな落胆混じりのため息を吐いた。

「…蔵の中で埃を被らせるよりは売られた方がマシだろうか。全部残っていれば全部使ってやりたかった」

 武士は伍壱を睨む。その威圧感に思わず腰が引ける。

「この者たちを全部俺に渡せ」

 酷い物の頼み方である。

「それは、私の物ではなく輝美さまのものですので…」

「ならば貰い受ける!」

 有無を言わさず輝美は刀を抱える。

「…あぁ、これは残っていたのか」

 殺気立っていた表情が一転して穏やかな人間の顔になる。

 握りしているのは短刀だ。火野家の家紋入りのため、売られずに残っていたものだ。

 たしか幼い頃に輝美から聞かされたことがある。代々当主に譲られていると。

 なぜか戦場に持って行くことがなかったので不思議に思っていたが、守り刀と言われた。

 家を留守にする事が多いため当主ではなく家を守るための刀という少し変わった意味合いの刀だ。

 武士は少し考えた様子であったが、それも持って行くことにしたらしい。

 それだけは…と言いかけたが、武士は「この刀がここへ戻りたかったら戻ってくるだろう」などと言って取り合ってもらえなかった。

 武士の行動はほとんど押しかけの強盗のようなものであったが、伍壱はなぜか強く断れず、人を呼ぶこともできなかった。

 蔵から出るともう日が完全に沈み夜であった。

 ごぅ…と生暖かい風が吹いた。

 不快感を感じた風に一瞬目を閉じ、収まる中目を開いて武士の立っていた場所に目をやればそこには誰もいなかった。

 あたりを見回してみても、姿は見えず、足跡さえもなかった。









「うむ、馴染のある刀はよく体に馴染む」

 紫鬼はにこやかにほほ笑みながら片手で刀を空振りし、鞘へ納める。

 そしてその刀は紫鬼の体へ染みこむ様に飲み込まれた。

『そのちっこい刀はどうする?』

「これは武器には使えんな。ほぼ装飾品といっていい。血を吸わせたくないとかで父上が刃を模造に替えたのだ。

 だから売れなかったんだろう。護身用の刀にもならん」

『じゃあ武器ではないじゃないか』

 赤嶺がすねるようにいう。

「だが好きなのだ。俺はこれが好きでな。伍壱も気に入っていた…あ、あー」

 すっとんきょうな声を上げる。

「あー、あー、伍壱か。あれは。あんなに年老いて。俺はいったい何年彷徨って…?

 あ、赤嶺!俺は老いていないぞ!!?」

『何を今更…自分の妖力でお前は歳なぞおうことがないぞ』

 赤嶺は適当なことをいう。

 本来ならその通りだ。魂さえ食っていれば、の話だが。しかし一度完全に輝美は死んだ。

 そして虚無から生まれた。

 その体は赤嶺の望む輝美の姿をとっている。つまり造形がそこから変化することはない。

 赤嶺も輝美も『老いた輝美』を知らないから虚無はその姿になれないのだ。

 しかしそのような説明は輝美には不要だと赤嶺は思う。

『昔が懐かしいか?あの屋敷が欲しいか?』

「いや…いらぬ。俺の居場所は戦場だ、赤嶺」

『そうだろう、お前は戦場が良く似合う。存分に自分を使ってくれ?』



     *****



 ある日、光来神社の神主と帝威家の当主、そして退魔師の3人が再び屋敷に訪れていた。

 急ぎ用事があるということで、手短になることを神主は詫びながら包みを取り出し、中身を見せる。

 それは火野家の家紋入りの短刀だった。

 いつぞやの武士が持って行った、それである。

「これは…?」

「火野当主の、遺品です。こちらへ納める方が良いと思いましたので」

 神主はそういって伍壱に手渡した。

 そこで伍壱はハっとした。

 なぜ思い当たらなかったのか、気付かなかったのか。

 顔ははっきり覚えていたのに、それだと思い当たらなかった。

 あの黄昏の時に当主は戻ってきたのだ。

 それに気づいた伍壱は、短刀を握り締めて肩を震わせた―――
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