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司さんの作品になります。(掲載元はプライベッターなのでリンク省略)

 松炉聖明は意気消沈していた。前世の因果とやらで正気を失い、まるきり初対面の凍原氷人を拐かし、あまつさえ無体を働いた。のみならず、神社を焼こうとしただの、神を手にかけようとしただの、氷人の家族にまで危害を加えようとしただのと、悪行枚挙に暇がない。すべては己の未熟さの招いたこと、修行も何もあったものではないし、何よりも迷惑を多方面にかけたという事実に、質実剛健を旨として生きてきた聖明はすっかり落ち込んだ。自分のできる償いをするだけして、暫しは精神修行をし直さねばならない。そのように決めた聖明は、神社や神に謝罪を申し入れ(これは、神となったあやかしが神社を守っていたことから、さほどに咎めはなかった。釘は刺されたが)、氷人の家族にも謝罪し、氷人自身にも頭を下げ、二度と会うことはないから安心してほしい、と伝えて、山にこもった。謝罪は自己満足でしかないし赦されるなどと考えてもいないが、少なからず、遠ざかれば氷人は安心するだろうと思ったのだ。氷人からは、聖明になど用事はない。むしろ顔を合わせるのも嫌だろう。何せ、見ず知らずの相手からわけのわからぬことを言われながら拐かされ、手ごめにされ、閉じ込められていたのだ。嫌わぬわけがない。
 氷人の家族は、聖明のしていることは、聖明自身の嫌う神の所業と同じと言った。本当にその通りだ。氷人の気持ちも人生も、自分はまるきり踏みにじったのだ。
 ――自分が氷人に惹かれたのは、前世の因果……赤い歯車のせい。氷人にも青い歯車があるというが、どちらにせよ、今の自分たちには、特に氷人には関わりのない話だった。どのような理由も結局後付だろうし、氷人を傷つけた事実も揺るぎがない。たとい正気が薄れた中で自分が何を思っていようが、何もかもが氷人には関わりがないのだ。
 そのようにして、聖明は自分を責め、山でひとり、己の未熟さを鍛え直すべく滝に打たれ座禅を組み、身体を鍛える日々を送った。
 そのようにしていたある日、殊更に寒い朝があった。空を少し眺めていればしらしらと雪がちらつき始めたほどだ。このような寒さであれば、いっそう修行になろう、と聖明が思えば、人の気配がある。観光にも登山にも向いていないこの山に自分以外がやってくるものであろうか、と目を向ければ、そこにいたのは凍原氷人である。そんなばかな、と後ずさると、氷人は初めて出会ったときと同じように、いかにも気軽に笑った。
「やあ、久しぶり。そんな格好で寒くない?」
「……なぜ、ここに来た」
「君に会いに来たからかな。僕、登山は趣味に入ってないから」
 聖明は予期せぬ来訪者の真意を計りかね、その場に立ち尽くした。二度と合わせる顔もないし、氷人とて会いたくもなかろうと考えたから遠ざかったのだ。だというのに氷人がやってきたならば、これは文句の一つも言いに来たのだろうか。でなければ、恨みを形にしたいのか。ぐるりと巡る思考は、ひんやりした氷人の手で途切れた。氷人はいつの間にか聖明の目の前にいて、聖明のぼろぼろの手を握っていた。
「立ち話も何だから、どこかでゆっくりしたいな。君はどこで寝泊まりしているの? まさか地べたと言わないよね?」
 流石にそうではないので、山の管理をしている寺に宿場を借りていると答えれば、それはよかったと頷かれる。気付けば聖明は宿場として借りている小屋に氷人を案内していて、二人真向かいに座っていた。
 先に口を開いたのは聖明だった。
「どうして来た。俺はもう会わないと言ったのに」
「君から会いに来ない、でしょう。僕から会いに行ったなら、君の言葉は嘘にならない」
「詭弁だ」
「とんちと言ってよ」
「もう一度聞く。どうして来た。俺はお前にあんな真似をしたんだ、会いたくもないだろう」
 沈んだ声で言ったなら、氷人は肩をひょいと竦めた。「こうして会いに来たのに、それはないと思ってほしいな。…ちなみに、ストックホルム症候群の類ではないから、安心してね」
「ならば、」
 尚の事わからずに聖明が身を乗り出すようにすれば、「昔から、君は自分を追い詰めるのが得意だよね」と、静かに氷人は口にする。
 昔? 昔とはなんだ。瞬く聖明に、氷人は微笑んだ。
「ちょっとだけ、思い出したんだよね、昔のこと。君と一緒にいたこと、話してたこと、……僕がいきなりいなくなったあとの君のこと。円迦と骸髏に言わせると、歯車が噛み合ったせいだ、だって。だから、思い出したんだ、君が自分を追い詰めるひとだって。昔と変わらないんだなって思ったよ」
 悲しげなような淡々としているような物言いの氷人は、言葉を失う聖明の手をまた握る。「前は僕が君をおいていったけど、今度は君が僕をおいていったね。ねえ、聖明、僕はまた君と一緒にいたい。昔の君は言ったよね、僕がそばにいるのは邪魔じゃないって。今はどう? 邪魔になっているかな。だから君は僕をおいていったの?」
 切なげな氷人の眼差しに、頭の芯がかっと熱くなった聖明は身を乗り出した。
「邪魔なわけがあるか! 俺はずっとお前を探して……」
 声を荒げた聖明は、にっこり笑った氷人の指で口を塞がれる。氷人はざくろ色の目に聖明を映して、身を寄せた。
「じゃあ、離さないで。すまなかった、もう二度と現れないから安心してほしいなんて言って、僕を離して遠くに行かないで」
 氷人の口唇は当たり前のように聖明と重なり、ついで氷人は聖明に身体を寄せて押し倒す。あれよあれよという間に事を進めた氷人は、聖明の上で踊っていた。しっかりと聖明の手を握って、決して離さないと言わんばかり。
「……っっっ!! ……っっっ!! っひっ……!! あきひろ……っああああっっ!!」
 自分の名を呼び喘いで踊る氷人を、聖明は熱に浮く目で息を荒くながら見上げている。数カ月前は自分がこそ氷人を押し倒し、無体を働いていたというのに、今はまるであべこべだ。けれども、それだけに氷人の気持ちがよく見える。
「あきひろ……っ、あきひろっ……あきひろ……あきひろ……」
「……すいと」
 氷人の手を握り返した聖明は、ぐいと体ごと抱き寄せる。氷人はおとなしく聖明の腕に収まって、すすり泣くように聖明を呼び続ける。
「あきひろ……あきひろ……きみが、どこ、かに、行く……んならぁっ……ぼくは、っ、……つなぎ、……とめる、からね……ぼく、だって……きみを、つなぎ、……とめ、たい……っからぁ……」
 途切れ途切れの囁きに、氷人もまた、自分と同じことをしているのだと、聖明は確信できた。だから氷人へと楔を打ち込むようにした。氷人も聖明を離さないとばかりにずっと飲み込んだ。
 そのようにして、一晩ほどは貪りあったろうか。ふたり肌を合わせて抱き合って、ふと聖明は尋ねた。
「氷人は、どうやって俺を探し当てたんだ。俺は誰にも行き先を言わなかったのに」
 聖明の腕の中で、ええと、と氷人は前おいた。
「聖明が燃やそうとした神社さんのおかげ、かな。聖明がいなくなったあと、あそこは失せ物探しにもご利益があるって聞いて、お参りに行ったんだ。そうしたら、三つ編みの女の人が、これをくれたんだ」
 氷人が手を伸ばしてバッグから出したのは、緑の蛇を模した鈴。「これを持っていれば、探し物を見つける夢を見れるって。その晩から夢を見るようになったよ、君の姿と山の光景とが出てきた。あとは、夢の中がどこかって調べたんだ」
「……そうなのか」
 聖明の大きな手の中で握りつぶせそうな鈴は、ちりん、と小さく鳴る。あの神社を焼こうとした自分に繋がるようなことを、よくぞしたものだ。神と呼ばれるあやかしは、懐の度合いが違うのだろうか。奇妙に感心した聖明は、鈴を氷人に返却する。ちりん、と鈴を鳴らした氷人は、そういえば、と付け足した。
「僕、円迦と骸髏に、黙って出てきたんだよね」
「…………何?」
 聖明を見上げながら、氷人はぺろ、と、舌を出す。「だって、ふたりとも、僕が聖明を探しに行くって言ったらすっごく怒ってさ……家から出さないぞって勢いだったんだよね。でも会いたいから、抜け出してきちゃった」
「……いつ、抜け出してきたんだ」
「だいぶ前。夢から君の居場所を調べるのも大変だったし、ふたりが出かけるのを見定めたりで、結構かかったよ。あっでも、ふたりには僕の居場所はわからないよ、君と同じように誰にも言っていないもの」
 あっけらかんとした氷人とは逆に、聖明は素早く考える。手の中の鈴、見計らったような夢、氷人の居場所と自分の居場所……ちりん、と鳴った鈴の蛇が、意地悪げに笑った。
「……謀られた」
 聖明のうめき声に、氷人は首を傾げる。
「あの神社のあやかしは、俺を赦したわけではない。これは意趣返しだ、あのふたりも氷人と同じように、俺達に行き着くぞ」
「ええ!?」
 がばと身を起こした氷人は、流石に慌てている。それはそうだ、ふたりは間違いなく怒っているし、これで連れ戻された日には、本当に二度と会えないようにされてしまう。そんなのは嫌だ。聖明も氷人も、素早く考えた。
「……氷人、逃げるか、ふたりで」
「そうだね、聖明、ふたりで逃げよう」
 腹を決めたふたりは、顔を見合わせて笑った。
 ふたりはすぐさまに身支度を整えて、あとの始末も全てして、手に手をとって逃げ出した。行く先などまるで考えていないが、ふたりならばなんとかなるだろう。そのようにどちらも考えていた。
 聖明の予想通り、円迦と骸髏はふたりが消えた直後に山にやってきて、すぐさまにふたりを追いかけた。何がなんでも、氷人を連れ戻すつもりなのだ。
 かくて、追いかけっこが始まった。


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