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司さんの作品になります。(掲載元はプライベッターなのでリンク省略)
凍原氷人は、現在軟禁されている。
現実感と危機感が伴わないため、焦りや恐怖は程遠い。まずい状況だなあ、とはさすがに思っているのだが、積極的な解決をしようとは思っていない。できない、というのもあるのだが。
監禁されているのは、ごく一般的なマンションだ。部屋のあちこちを見て回れるし、飲食も不自由していない。テレビを見てもいいし、なんなら朝一番にシャワーを浴びてもいい。ただ、外へと通じるベランダとかドアを開けられない。なぜかというと、触れると火傷をしそうなほどに熱くなるからだ。火で炙られているように熱くなり、手を引っ込めざるを得ないのである。
氷人はこの現象を不気味がらずに、育ての親たちから教わったいくつかの知識を符号させていた。――閉じた場所。封じそのものは緩やか。けれど、内側からは破れない。外側からの解除はできるだろか? 内側からでは判らない。どうしたものかな。ベランダに続くサッシの前で腕を組んでいると、ドアの開く音がした。家主のお帰りだ。
家主はうっそりとリビングに入ってくると、嬉しそうに笑いかけてきた。彼はひどく優しいし、明るい性格だ。ユーモアもあるし、話術も下手ではない。料理の腕も火加減がうまくない以外は悪くないし、何くれと氷人の世話をしたがった。奇妙なほどに親しげに接してくる彼は、聖明という名前であるらしかった。しかし、旧い友人のように接してくる聖明を、氷人は全く知らなかった。来日して、なんとなく立ち寄った博物館の中で、たまたま出会ったのが初対面のはずなのだ。だというのに、聖明は氷人を知っているようだった。
「ただいま、氷人。夕飯を作るから、待っていてくれるか」
「……」
「今日は大きい葉のサラダ菜が手に入ったし、サラダは多めにできそうだ。ああ、氷人の好きな鳥の照り焼きも作るぞ」
ひどく親しげな聖明は、氷人の好みを知っていた。たちの悪いストーカーだろうかとも思ったが、どうもそうではない気配もする。接する態度は久方ぶりに会った友人へのそれであるし、時折氷人の好みから外れたことをする。例えば、シャンプーだのリンスだの、石けんだのといった嗜好品や、身につける服のこと。氷人を拐かして閉じ込めた後に、氷人が必要とするだろうからと持ってきたものは、氷人が好んで使わないものが多かった。これは使わないよ、と氷人が言うと、そうなのか、すまなかった、とすぐに謝る。以降は氷人の好みに合った嗜好品を買ってくる。ストーカーであったなら、そういうのも判っているものではなかろうか? ストーカーの詳細など知らない氷人だけれども、なんとなく彼はそうではない気がした。
では、彼はなんなのだろう。彼は初対面の時に、氷人を見て、ひどく驚愕した顔だった。たまたま同じ展示物を見ていて、彼の隣に立っていただけだった。彼もすぐには氷人に気付かなかったのだ。ふと隣にいる氷人を見て、目を見開いて、息を飲んで、すいと、と絞り出すように名を呼んだのだ。そうして、氷人の手を掴んで、氷人、ここにいたのか、と言って――
炎のように熱い手。熱っぽい目線。夏の日差しのような笑顔と、落ち着いた声。氷人はどれも知らなかった。そして、火炎に包まれるような熱さでもって抱きしめられて、意識が遠くなって、気付けば軟禁されている。これで何日目だろう? スマートフォンは電波がまるで効かないので、養い親たちに連絡を取れない。どうしたものかな。そう考えていると、手首を取られた。おや、と顔を上げると、彼がじっと氷人を見つめていた。
真っ直ぐに氷人を見つめる視線は熱っぽい。手首を掴む手のひらも、火傷をしそうなほどに熱い。ああ、これは。氷人が思うと同時に、口唇が重なった。熱い。口唇が焼けそうだ。腰に回された手も熱い。何もかもが熱い。
「氷人」
離れた口唇の間から、氷人の名前が溢れる。氷人の口の中が熱い。喉の奥まで熱い。炎でも飲まされたようだ。炎。炎。炎の柱。彼自身が炎の柱のようで、氷人はほんのわずかに身じろぐ。あ、しまった。氷人が失策を自覚するより早く、彼は氷人を引き寄せていた。目には情熱が滾って揺れている。
「氷人」
すぐさまに氷人は抱きかかえられて、ベッドルームに連れ込まれていた。そうしてたちまち服を脱がされて、力強く犯された。彼は氷人が少しでも離れようとすると、このようにしてくるのだ。軟禁した当日もそうだった。親しげにしてくる彼に、氷人が、君は誰だい、僕は帰りたいんだけれど、と言った途端に。
「あ、ああ、っ……!……ぅ、あ、……!」
シーツを掴んでもがく氷人を押しつぶすようにしながら、彼は激しく犯す。氷人はまるで経験がなかったというのに、すっかり彼に慣らされてしまっていた。彼に覚え込まされた熱に、危機感はやっぱりなかった。氷人は嫌がるべきだったろうし、怖がるべきでもあったろう。けれど、何度彼に犯されようと、焦燥も嫌悪も感じなかった。
灼熱の情欲を氷人の中に注ぎ込んで、彼は何度も氷人を呼ぶ。すいと。すいと。氷人の手を握って、何度も口づけて、犯して、抱きしめて、彼は何度も氷人を呼ぶ。
「氷人」
「氷人」
「やっと見つけた」
「氷人」
「行かないでくれ」
「どこにも行かないでくれ」
「渡さない」
「あんなものに二度と渡すものか」
「氷人」
「いなくならないでくれ」
「氷人」
「ここにいてくれ」
「氷人」
「氷人」
彼は氷人を呼びながら犯す。氷人を繋ぎ止めようとするかのように、氷人を抱きしめて、何度も熱を注ぎ込む。そのたびに氷人は快楽にむせいだし、嬌声をあげたし、絶頂に燃え上がったし、最後にはとうとう気を失う。彼は初めて会った夜からそうだった。
たまたま来日した氷人は、たまたま博物館に訪れた。大きな恐竜の化石を見上げていたところで、隣に立っていたのが聖明だった。彼は最初、すぐに氷人に気付かなかった。ふと隣を見て、そこで氷人に気付いたのだ。そうして、驚愕に目を見開いて、氷人の手首を掴んだ。きょとんとした氷人をじっと見て、驚愕が奇妙に歪んで笑みに変わり、すいと、と熱っぽく名を呼んで。
「……君は?」
そう口にした氷人は、次の瞬間には彼に抱きしめられていて。炎の柱に抱きつかれたように熱い彼の腕の中で、ふっと意識が遠くなった。そうして目を覚ませば、見知らぬ天井を見上げていた。彼は氷人をベッドに寝かせて、安堵した様子で笑っていた。氷人、久しぶりだ。そう言って。そう言われても、氷人は彼を知らない。まるで初対面なのだ。だから、君は誰だい、僕は帰りたいんだけれど、と返したのだ。その途端に、彼はしたたかに殴られたような顔になった。そうして、氷人に覆い被さって。
氷人は決して他人から好きに扱われるのを良しとする性格ではない。見ず知らずの相手に軟禁されて、おもちゃのようにされるのを望むような気質でもない。けれど、実際にそうされている状況だというのに、ついぞ氷人は彼に、聖明に、悪感情を抱かなかった。
聖明が、何くれと氷人の世話をするからだろうか。無体を働かれた氷人が目を覚ました時、決まって身体が清められていて、肌触りのいい服を着せられているからだろうか。朝昼晩の食事が欠かされた試しがないからだろうか。ストックホルム症候群の症状だろうか? 氷人は自問するたびに、奇妙な自答にいつでも辿り着く。
氷人は聖明が嫌いではない。それどころか、初対面の彼に、ひどい懐かしさが湧き上がりつつある。その上で不思議でしょうがない。彼は何を焦っているのだろう。なぜ氷人を繋ぎ止めるのに必死なのだろう。自分と彼は初対面だ。ずっと日本ではない国にいた自分は、断じて彼と出会っていない。なのに、なぜ。なぜ。なぜ? 聖明に犯されながら、氷人は考えを巡らせる。
彼は、氷人を閉じ込めるためだけに、部屋の中を歪めていると解っているのだろうか。彼はそんな異能があると理解できているのだろうか。どうにかして骸髏や円迦と連絡を取れないだろうか。外部からの干渉があれば、きっとここから出られるはずだ。ああけれど、そうなれば。聖明は。どうなるのだろう。氷人がいなくなるのを恐れる彼は、腕の中から氷人がいなくなった時、この熱をどこに向けるのだろう。熱は何を伴うだろう。怒りか、焦りか、それとも。
「氷人」
熱い声に呼ばれて、氷人の意識が聖明へと向いた。聖明は一瞬、安堵した様子をよぎらせた。氷人は聖明を知らない。名前は、かろうじて彼が名乗ったから知っているだけだ。彼の人となりも、職業も、……なぜか夜中に姿を消す理由も、次の日のニュースで小火だとか火事の話題が出る因果関係も、知らないのだ。
けれども。
「あ、き、ひ、ろ」
見上げた顔にそっと手を伸ばして、頬に触れる。
何も解らない。聖明も何も言ってくれない。解らないだらけで、自分は理不尽に振り回されているはずなのに、どうしても悪感情は浮かばなかった。
聖明に口づけられて、炎でも飲まされたように熱くなる喉と唇に浮かされながら、歯車がかみ合ったような安堵感を何度目か味わった。この心地を、自分は長く求めていたような気がするのだ。
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