首無し馬

少年時代の奏さんが冷姫のとこで色々あった話の一つ
いきなり始まります。ワンシーンというやつ。


 ゼンは首無し馬に跨るのに成功する。
 一瞬だけ視線を首無し馬の首元に向けた時だった。
 ゼンの頭部に衝撃が走る。木の枝が額を打ちつけたのだ。

「ゼン!」

 流球はゼンが落ちるのではないかと名を叫ぶ。
 しかしゼンは体を後ろへ反れたがそのままぬるりと滑らかに身を起こして持ち直した。
 動きが人間のそれではなく、流球は息が詰まる。
 首無し馬は足を止め流球に向きなおした。
 それに跨るゼンは腕をだらんと垂らしたまま項垂れた首を上げる。
 長い前髪で隠れ気味の顔は血で赤く塗れて痛々しいがその口からは酷く枯れた笑い声が漏れ始めた。
 首無し馬が人間という『口』を手に入れたのだ、ゼンの声とは程遠い気味の悪い声色であった。

『踏み殺してやる』

 ドンッと脅すような足踏みをして首無し馬は駆け出す。
 ドンドンドンと馬の足音ではない音が迫り流球は汗を流す。
 人間の脚で逃げ切れない、だからといって踏み殺されるのは嫌である。
 流球はギュっと十字架を握り締める。神頼みも間違いである、自分は使徒ではない、奇跡なぞない。
 あるのは運と自分の身体だけだ、もう見極めて避けるしかない―――流球は十字を切って身構え目を反らさず馬を睨んだ。
 運が良ければ生きているだろう、その程度しかない。
 覚悟が決まったとき、目の前に小さな影が飛び込んできた。
 雲水の格好をした少年であった。
 少年は左手で馬の前足を受け流した。動体視力がいい流球にギリギリ見えたのはその光景であった。
 実際は左手で前足を掴んで引き摺り倒していた。少年が、巨躯の馬を。
 流球はそれに気づくことなく地に打ち付けられたゼンの下へ走り抱き起こす。

『やめろにんげんがッ!』

 ゼンの口から叫びが上がる。
 首無し馬の方へ目を向ければ少年が馬を何度も殴っていた。
 トドメの一撃が入った瞬間、馬は青白い光に包まれていく。

「終わった」

 少年は無表情無感情のまま流球に目を向けて呟く。

「あ、ありが…とう…?」
「手当をお願いする」

 流球に薬と布を渡し、去っていく。
 ゼンの手当てを思い出して慌てて流球はゼンの額に布を押し当てた。